今の時代、編集者は本当に必要なのか?

SNSはさまざまなモノの価値観を一変させた。漫画業界もそのひとつ。漫画賞に応募せずとも、出版社に持ち込まずとも、SNSを活用すれば最短ルートで漫画家になることも夢ではない。その結果、存在価値が揺らぎはじめたのが編集者という職業だ。

「編集者不要論」がささやかれる時代、真っ向から異なる価値観で対峙している漫画誌のひとつに『週刊少年ジャンプ』がある。編集者による新人育成を重視し、少年漫画さながらの熱量で、歴代の連載作家&編集者たちが培ってきた「『ジャンプ』らしさ」を徹底して叩き込む。今なおヒット作を多数生み出している、日本一売れている雑誌だ。

そこで『週刊少年ジャンプ』編集部の杉田 卓に、大ヒット作品を生み出し続けている『ジャンプ』流の編集術についてインタビュー。その内容を紐解いていくと、編集者と漫画家のあいだにある、もっと深い関係性が見えてきた。

撮影/新妻和久 取材・文/加山竜司
杉田 卓(すぎた・すぐる)
1989年生まれ、東京都出身。2012年に集英社に入社。『週刊少年ジャンプ』編集部に配属され、『トリコ』の島袋光年、『ONE PIECE』の尾田栄一郎の担当に。現在は『ONE PIECE』のメディア担当のほか、『約束のネバーランド』、『思春期ルネサンス! ダビデ君』の立ち上げ・編集を務めている。

泣いて学んだ「ファンレターは漫画家の心の支え」

杉田さんが『週刊少年ジャンプ』の編集部に入って最初に担当した作家はどなたでしたか?
島袋光年先生です。当時は『トリコ』を連載していました。島袋先生を2年ほど担当させていただいたあと、尾田栄一郎先生の『ONE PIECE』の担当になりました。

『ONE PIECE』の場合、打合せに加えて映画、舞台、海外ドラマ、イベント、ゲーム、グッズ、フィギュアなどなど……。各種メディアミックスの仕事があまりに膨大なので、漫画担当とメディア担当が別々にいるんです。

僕は漫画担当を約3年やってからメディア担当に移り、現在は『約束のネバーランド』『思春期ルネサンス!ダビデ君』も立ち上げから担当させてもらっています。
▲島袋光年『トリコ』第1巻(写真左)、尾田栄一郎『ONE PIECE』第1巻(同右)
©島袋光年/集英社 ©尾田栄一郎/集英社
入社してすぐに人気作家の担当になったんですね。
はい。幸運なことに担当させていただきました。「新人編集者にベテラン作家さんを担当させることで編集者を育成しよう」というのが当時の編集長・瓶子さんの方針だったおかげだと思います。本当に感謝しています。

また、まさに小学生の頃に『ジャンプ』を読み始めたきっかけが、当時大人気だった島袋先生の『世紀末リーダー伝たけし!』と尾田先生の『ONE PIECE』でしたので、担当をさせていただけたことが心底嬉しく、ビックリしました。

ただ、プレッシャーはえげつなかったですね(笑)。『ジャンプ』で連載までたどり着く作家の皆さんは、例外なく圧倒的天才だと断言できます。そんな天才たちの担当を凡人がしなきゃいけないというだけで緊張の極みなのに、それが島袋先生や尾田先生となると……。

変なたとえですが、急に時価数十、数百億の宝石を預けられたようなすごいプレッシャーでした(笑)。
新人ですから、なおのこと緊張しそうですね。
そうですね。とくに島袋先生を最初に担当したときなどは、緊張しすぎてもはやおかしな奴になってたと思います(笑)。慣れない仕事・その量に完全にキャパオーバーだったこともあり……。

なので新人時代は、ひたすら島袋先生にお世話になりました。本当にいろいろなことを教えていただきましたし、いっぱいご迷惑もおかけしたと思います。
たとえば?
今、思い出しても恥ずかしくて大反省することだらけですが、たぶん一生忘れないのは、優しく温厚な島袋先生に初めて怒られたときのことですね。
毎週、編集部にはたくさんのファンレターが届くんです。とくに島袋先生や尾田先生はたくさん届きます。これを担当は確認して作家さんにお渡しするのが大事な仕事なのですが、前任の担当者との行き違いが原因で、新人だった僕がしばらく溜めてしまったことがありました。

そのときは普段絶対に怒ったりしない優しい島袋先生に初めて強くお叱りを受けました。「応援してくれている読者をもっと大切に考えなさい。馬鹿にするようなこと絶対にしちゃいけない」と。
けっこう強めに怒られた?
……そうですね。優しさの塊みたいな島袋先生のあんな姿は最初で最後です。自分の至らなさで読者の皆さんに大変な失礼を働き、大好きな作家さんを悲しませてしまった。あまりの自己嫌悪と悔しさで帰りの車の中で泣きました。号泣でしたね(苦笑)。

この事件で言えば、作家さんにとってファンレターがどれだけ大切なのかも知りました。他の先生もたぶん例外なく、ファンレターはハードな創作活動の中で、辛いとき、苦しいときの重要な心の支えなんだと思います。

「秘伝のたれ」のように受け継がれる『ジャンプ』漫画論

ファンレターの件、周りに教えてくれる人はいなかったんですか?
そうですね。ただ、それに関しては行き違いがあったにせよ、僕がもう少し気を回して気付けよっていう話ですね(苦笑)。

でも、そもそも『ジャンプ』編集部って、基本的に何も教えてくれないんですよ。とくに僕の新人時代は漫画の作り方も一切、です。もちろん編集部にはヒット漫画を生み出すうえで、「虎の巻」のようなある種の方法論、蓄積された経験や編集論は漠然と存在しています。ただ、それを誰かが教えることはありません。

先輩に自発的に話を聞きに行ったり、作家さんとの打ち合わせの中で悩んだり、担当作への編集部からのフィードバックの中にヒントを見つけたり、編集者が自力でたどり着くしかありません。

自分でたどり着かないと意味がないことも多いですし、ひとつのやり方を強要しないことで新しい方法論や漫画の可能性・多様性を活かそうとしてるんだと思います。そのほうが自主性と責任感は嫌でも付きますし。
理屈としては理解できますが、最初は相当大変では?
そうですね、入ったばかりの頃は本当に右も左もわからないし、正直、戸惑います。

でも、そこでいろいろと教えてくれる心強い存在が、僕にとってはまさに島袋先生や尾田先生でした。今でもおふたりは僕にとって一番の指針です。そういう意味で編集者は若手の頃に担当させていただいた先生に多大な影響を受けると思います。
先入観があるかもしれませんが、『週刊少年ジャンプ』は担当する編集者と作家の距離がすごく近いように感じます。たとえるなら「部活の先輩と後輩」みたいな間柄、というか。
他を知りませんが、『ジャンプ』は生え抜きの編集者と作家が一対一の二人三脚でヒットを目指すということもあって、よりそんな雰囲気があるのかもしれません。いろいろと学び、学ばれていくうちに、「兄と弟」とか「先輩と後輩」みたいな雰囲気になっているのかも。

僕は勝手ながら島袋先生や尾田先生を師匠だと思っていますし、「ひと回り上の頼れる先輩・兄貴」というようなイメージがあります。

編集者がそうして学んだことを今度は新人作家に伝える立場に回ると、長い育成期間のあいだに作家さんから兄や先輩のように思ってもらってることがあるかもしれません。
ベテラン作家が新人編集者を育て、そこで育った編集者が新人作家に伝えていく……というリレーが続くんですね。
そうですね。作家と担当が切磋琢磨で一緒に成長していくのはもちろん、ベテラン作家が新人編集者を育て、その編集者が新人作家を育て、その作家が今度はまた新しい編集者を育てる。そんな循環がたしかにあります。

注ぎ足しながら継いでいくという意味では、老舗うなぎ屋の「秘伝のたれ」みたいですね(笑)。そうやって受け継がれてきた「秘伝のたれ」の中に、「『ジャンプ』らしさ」があるのかもしれません。